高井戸ICがある中の橋交差点は大渋滞
東名高速の用賀IC、関越道の練馬IC、東北道の浦和IC、常磐道の三郷ICといった、今や物流に欠かせない各高速道路には出入り口が存在するのに、なぜ中日本の大動脈たる中央道の高井戸ICには出口しか無く入り口が無いのでしょうか?
現在、都心方面から中央道へ入るには混雑する首都高4号新宿線へ回り込むか、首都高の永福ICからわざわざ630円を支払って永福ー高井戸ICを通るしかありません。あるいは、甲州街道(R20号)の一般道を調布ICまで3.5km、15~25分を走らなければなりません。
首都高速の高井戸ICには、出入り口がちゃんとあります。
首都高側のIC入り口がある中の橋交差点は、都内でも環七の大原交差点と1・2位を争う大渋滞のメッカで、物流の要となっており常に大渋滞しています。
中央道の高井戸IC入り口はある
実は、中央道の高井戸IC入り口は存在しています。下り線の烏山トンネル手前に、イカの耳と呼ばれる突出したランプの痕跡があるのです。
下から見ますと、うっそうとした草の中にたたずむ廃墟のようですが、1979年の50年前にこの中央道の高井戸ICが開通した当初から、ここに入り口のオンランプを開設すべく場所は確保されていたのです。
ところが、近隣住民の猛反対により入り口の設置は後回しとされたのでした。
当時の時代背景としては、1970年代は交通事故死者数がピークの16,765人を数え、交通戦争と呼ばれていました。また大気汚染は深刻な問題として、自動車の排気ガスと交通量の増加により自動車公害が最大の課題となっている時期でした。
昔を知る人から話を聞くと、地方から東京の空を見るとどんよりと茶色く淀んでいた、とのことです。見てわかるような空の汚さだったのです、光化学スモッグ注意報も常に出ていました。
そんな時代でしたから、住民運動や公害苦情が全国各地で多発、中央道の開通と高井戸ICの開設にここの住民が猛反対するのは仕方がなかったのかもしれません。
ところが、ここへ来てようやく変化の兆しが現われます。自動車の排ガス規制が行われ都市部の大気汚染は改善され、交通事故死者数も安全装備の改善などで今や2,610人と過去最低を記録しています。
さらには、ここの近隣住民が一番懸念していた中央高速沿いにあった小中学校が移転をしたことにあります。猛反対の理由が、高速へ入る車で交通量が増えると、小中学生の通学路が危険に晒されるというものでした。
旧富士見丘小学校が移転し跡地の利用法
そのような、中央道の高井戸ICのすぐ脇には旧富士見丘小学校があり、2026年3月までは富士見丘中学校が新校舎建設で移転するまでの仮校舎として使用していました。この小中学校が中央高速の沿線から外れた場所へと移転し、今回この敷地が空いたことが大きなきっかけとなります。
現在この土地は商業施設の再開発が予定されており、中央道の高井戸ICのオンランプの開設で道路拡張などこの敷地の一部を使用する計画があります。
ちょうど、この小学校の前が高井戸ICへ入るために加速する助走路となっており、すでに橋脚も作られていたりするのでした。この橋脚は、今回2019年の都道放射5号線の開通によって新しく掛け替えられたものになります。
この都道放射5号線を中央高速の下に作るにあたって、中央道を長期間通行止めにしないで橋脚を全て掛け替えた日本の土木技術は、スゴいとしか言いようがありません。
ということは、すでに中央道の高井戸IC入り口のオンランプは、作ることが前提となって周辺の整備が進められている、ということになります。
もっとも、この地域の住民の7割が中央道の高井戸IC入り口の設置を希望しているといいますから、今さら反対は無いと見るべきでしょう。ちなみに、明確な反対は3.5%です。
ここの地元の住民に対しては、旧富士見丘小学校跡地利用の再開発で商業施設が誘致できればバーターとなりますし、中央道の利便性が高まればこの一帯の土地の資産価値も上がりますので、万々歳ではないでしょうか。
高井戸ICだけではない外環道三鷹ICもできる
この都道放射5号線の計画が、亡霊のように60年の時を経て動き出した理由には、もう一つ外環道の建設があります。
この高井戸ICから5kmほど進んだ先の東八街道に、現在建設中の外環道の三鷹IC出入り口が繋がるのです。交通量が一気に増えることから、大きな道路を先に整備しておこうという計画です。
そう言えば、途中で中途半端に途切れている甲州街道があるじゃないか、ということで。
外環道はそれぞれ、目白通り、青梅街道、東八街道(甲州街道バイパス)に接続します。青梅街道と東八街道へは、トンネルから地上へと上がる形となり、現在用地買収が行われている最中です。
ただし、この用地買収は難航していることから計画が間に合わず、先に外環道本線が開通した後に三鷹ICを掘って作り開通させる形になるそうです。
おそらくは数年後、10年後くらいでしょうか、この近隣はその姿を大きく変えていることでしょう。





